娘ちゃん出産レポ 妊娠編

こんばんは。まったりこです。
寝かしつけ後の晩酌がしっくりきすぎてダイエットできません。
何てこったい。

さて忘れる前に娘ちゃんの出産レポ書いておきます。
息子くん出産レポはコチラから。
例によって例のごとく、長くなってしまったのでとりあえず妊娠編。
ではいってみましょう。

まず娘ちゃんの妊娠は完全に望んだ結果でした。
息子くんを産むよりもずっと前から、子どもを産むなら2学年差が良いという希望があって、
旦那さんとも色々相談して、ここの希望が合致したので時期を見て妊活を始めました。
始めてすぐ妊娠できるとは限らないし、2学年差希望でリミットがあるし…と焦っていましたが、
幸いにも希望通りの期間中に妊娠できたので本当に恵まれているなと思います。
この時ばっかりは産後すぐに再開してすぐに周期も安定した生理に感謝しましたね。
毎月近づく度に憂鬱な気持ちになるけども。

そんな訳で始まった妊娠生活with息子くん。
やっぱりまずは何と言ってもつわり期間中が辛かった…。
息子くんの時とほぼ変わらない内容でやってきたつわりでしたが、
つわりが始まったのがそもそも妊娠発覚と同時くらいだったので、前回よりも1ヶ月早かった。
吐くタイプのつわりでなく食べづわり&極度に胃が弱るという感じなので、
ドラマみたいに突然の吐き気でも、もしかして…!みたいにはならなかったのですが、
心当たりなく突然ひどい背中の痛み(胃が究極痛い時になるやつ)がきて治らず、
これはもしや…となって検査薬→陽性という流れでした。
前回は生理が来ないなぁというのが先だったのに対して、今回はつわりが先にきて、
しかも生理周期よりも早かったためにつわりキッカケで妊娠がわかったのは面白かった。
今度はしっかり旦那さんと喜びを分かち合い、頑張らなきゃねと話しました。

最初の1ヶ月はとにかくちょっとの刺激で胃痛が発生するのと、
でも何か食べないととにかく気持ち悪くなってしまうというののハザマでしにかけでした。
うちの息子くんは大人しい子だったし、この当時まだ9ヶ月半だったのもあって、
まぁいけるいける!と思っていましたが、とにかく胃痛があると座っているのすら辛く、
この時は色々してあげないと…!と思っていたのもあってめちゃくちゃ自己嫌悪の日々でした。
2ヶ月目に入ると、胃痛はそれなりに落ち着いたものの、今度は微熱が出るように。
ほぼ1ヶ月近い間ずーっともやもやする微熱を抱えて過ごしました。
これもこれでまた体が重くて辛く、せっかく胃痛がなくなったのに…と思いながら、
毎日かなりダラダラと遊んであげられずに過ごしました。
それまでテレビはほとんど見せていなかったのに、この時期からEテレとお友達に。
息子くんもちょこちょこ興味を持って見るようになってくれたので、
特に夕方からのゴールデンタイムにはめちゃくちゃ心救われました。
お昼寝なども含めて、その時間までをどう乗り切るかが毎日の課題でした。
でも早めにきただけあって、今回は早めに13週頃には終わっていたと思います。
この間はとにかくメンタルと体調管理のためと称して空腹のままに食べていたので、
またしてもめちゃくちゃ太ってしまい、流石に通っていた産婦人科で怒られてしまいました。
この時点で既に3㎏程太っていたのに、つわり明けの解放感からか次の1ヶ月も食べてしまい、
妊娠3ヶ月目が終わる年末には既に5㎏太っているような状態でした。
この時のかかりつけの産婦人科からは臨月までに+10㎏しか太ってはいけないと言われ、
息子くんの時に比べてかなり食生活に気を付ける妊娠生活となりました。

つわりが明けた後程なくして、胎動がわかるようになり、
本当に赤ちゃんが無事育っているかな…?という不安感から解放されました。
2人目だからかお腹が大きくなるのも早めで、この頃には既に妊娠がわかるくらいに。
でも胎動もわかったし安定期だし…というのに加えて、
ついに自分の足で歩けるようになった!という状態の息子くんが居たのもあって、
運動がてらめちゃくちゃ色んなところに出かけていました。
毎日公園で滑り台をしたり、室内遊び場で色んなおもちゃで遊んで過ごしました。
とにかく朝も昼も出かけていました。
1月~2月の間だったのでまぁそれなりに寒かったのですけど、
息子くんはばあばに買ってもらった超あったか上着もありましたし、
私に至っては妊婦バグで体温調節機能がアホになってて常に暑かったので大丈夫でした。
とにかく息子くんの遊び経験を優先!と思って、朝は室内遊び場に行き、
夕方からは公園に行って遊ぶ…というアホ妊婦生活をしていました。
1時間近く歩いて遠くの室内遊び場に行って2時間程遊び、また1時間近く歩いて帰ったり。
お腹に乗られたりぶつかられたりという刺激だけ注意して避ける以外は、
毎日いっぱい歩いて動いてお昼寝して遊んで…という日々を過ごしました。
この頃謎の無敵モードで、かなり強気で元気な妊婦だったと思います。
体重の増加が怖くてとにかく動いていたかったというのと、
もっとお腹が大きくなったらこうは遊んであげられない…という思いでいっぱいでした。
途中、その遊びのどこかでもらったらしく息子くんがウイルス性胃腸炎になってしまい、
私たち夫婦もバッチリもらってパンデミックが発生したりもしましたが、
でもこの時期にたくさん遊びに出ていて本当に良かったなと思います。
そんなこんなしていた翌月にはコロナで全室内遊び場が閉鎖してしまうので…。
(あとこの胃腸炎パンデミックで2㎏痩せたのめちゃくちゃデカかった)

娘ちゃんの妊娠生活で、息子くんが居ることに次いで大きかったのはやはりコロナ。
妊娠後期に差し掛かった辺りでコロナが流行り始めることとなり、
一気に各種遊び場は封鎖、マスク・消毒液品切れ、産院の立ち会い・面会禁止となりました。
私は元々里帰り出産を予定していたのですが、
実家近くの産院からは、検診2週間前から実家滞在の上一歩も外出しないこと、
かつ一度検診に来て以降は無事出産するまで外出一切禁止と条件が出されました。
里帰りには息子くんと一緒に行く予定にしていたので、外遊び禁止は無理だな…と。
うちの両親はまだどちらも働いているので、日中は二人とも居ないことも多く、
かつ実家には犬が居てその散歩もあるのに…と思うと、
とてもじゃないけど両親に息子の外遊びを頼む気にはなれませんでした。
多分だけど、産院としても里帰り出産はあんまり推奨できなかったんだろうなぁ。
なので残念ですが分娩予約はキャンセルし、里帰り出産はしないことになりました。
妊娠9ヶ月目前で急きょ自宅近くで産まなければいけなくなったのですが、
タイミングが悪いことに何とそれまで通っていた産院は近々閉院予定で受け入れてくれず。
こんな時期から受け入れてくれる産院なんてあるのか?!と思いながら、
通えそうな範囲の病院に電話をし、コロナ禍でも立ち会いOKという産院で予約を取りました。
元々旦那さんの育児参加をめちゃくちゃ推している院だったらしく、
本来ならば入院中の沐浴指導などもほとんどがパパさん向けにやるという院でした。
立ち会いと面会の条件は同居家族のみということで、息子くんも立ち会い可。
基本的に誰にも預けない方針の我が家としては最高の条件でした。
里帰り出産不可になったと同時に旦那さんもすぐに育休取得について会社に掛け合ってくれ、
出産からまるっと1ヶ月の育休の確約をもらってくれました。
この辺に関してだけは、旦那さんの会社はかなりホワイトなのでめちゃくちゃ有難い。

コロナ禍で出歩きにくくなったのとほぼ同時に、お腹の大きさもかなり辛くなり、
必要最低限の買い物も旦那さんと一緒の時にまとめ買いする方針に変更。
ただし、スーパーはなるべく最小限の人数で…ということになったので、
旦那さんと息子くんとはスーパー横の公園で待機してもらい、購入後に合流していました。
重いものは極力旦那さんに持ってもらったし、息子くんの抱っこも基本は旦那さんに。
この頃、息子くんは寝かしつけの時抱っこじゃないと…という状態で、
お昼寝の時だけは私が縦抱きでゆらゆらしてあげないといけないのが一番辛かった。
物理的に重くて辛いのはもちろん、お腹に負担がかかってるような気がして不安になり、
どちらかと言うとそっちの心配によるストレスが本当に嫌でした。
ただお昼ご飯の途中か後に頻繁に寝落ちしている時期でもあったので、
何とか色々調節して、抱っこしなくても自然と寝てくれるように仕向けていました。
一時、ご飯の後にソファに座って絵本を読んであげるとうとうとして寝る…という時があって、
大体2週間くらい?そんな感じで寝てくれていた時は天使を産んだなぁ…と思っていました。()
怒られまくってめちゃくちゃ頑張った体重管理も、後半はほとんど増えることなく進み、
最終的には+10㎏ジャストの状態を維持する形となりました。
最後の方はコロナ禍で外出し辛いストレスも相俟って本当にストレス過多でしたが、
何とか息子くんの可愛さと旦那さんのフォローに助けてもらいながら乗り切りました。
経産婦さんだし早いと思うよ~と言われていたのに、結局娘ちゃんも予定日を超過しました。
一度だけかなり強い前駆陣痛があって、念のため受診した時でさえ「まだまだ」と言われ、
またかよーもういいよーと泣きそうになりながら帰宅したのを覚えています。
予定日超過は本当に嫌だよ。メンタルがしぬ。
全国の超過ランド出身の産婦さんは本当に幸せになってほしい。

お産編へ続きます。