親が子どもにあげられるもの

こんばんは。まったりこです。

今日は私の不注意で息子くんにケガをさせてしまいました…。
ハイチェアの取り付けテーブルをしっかり固定していなかったために、
座っていた息子くんがそのテーブルに体重をかけ、そのまま落下。
目の横を強打して、1㎝程の切り傷と打撲の内出血がすぐに見てわかりました。
幸いにも本人はケガしてすぐは強く泣いていたものの、しばらく抱っこすると落ち着き、
ご飯も食べられたし、どうやら目にも異常はなさそうだったので、
軽く調べて、行けそうな病院があったのですぐ準備して駆け込みました。
調べた際に知ったのですが、見える顔のケガなどは形成外科が良いそうです。
跡が残らないように気を付けて処置してくれるんだとか。
ケガをした時間は12時過ぎで、今日は木曜日だったので、
かかりつけ医は休みだったしこの時間はほとんど診療外では…と震えましたが、
たまたま自転車で5分程度の場所で13時まで診療してくれる形成外科があり、
完全に我が家のニーズにピッタリすぎて運命すら感じました。
ギリギリでしたが無事に診療時間内に滑り込み、処置をしてもらって安心しました。
先生は淡々と言葉少ない感じでしたが、看護師さんたちがみんなめちゃくちゃ優しくて、
指示があった訳じゃないだろうに、先生には言われなかったその後の対応など、
細かく教えてくださったり、丁寧に対応してくださって本当に有難かったです。
息子くんにも「大人しく座ってられて偉かったね!」と声をかけてくださったり、
それ以外にもプラスの声かけをたくさんしてくださって素敵な気遣いに涙出そうでした。
私は自分の不注意でケガをさせてしまったという思いで消えてなくなりそうだったので、
この暖かい対応に本当にとっても救われました。
子どものケガはどうやっても防げない時などもありますが、
今回のことは完全に私がしっかりしていれば防げたことだったので猛省しました。
専業主婦として子育てを始めて2年半も経ち、2人育児も1年程して、
子どもの相手や対応をするのにも慣れたな…という慢心があったなぁと。
住み慣れた家の中でも危険はたくさんあるということを改めて実感しました。
今回のケガが目の少し横で本当に良かったです。
最悪目が見えなくなってたかもしれないと思うとゾッとします。
たまたま私が親だっただけのことでそんな恐ろしい事態になってしまったとしたら、
本当にもう合わせる顔がなくなってしまうところでした。

最近だと「親ガチャ」なんて言葉も聞きますが、
やっぱり子どもの未来って親にかかってるところがかなり大きいよな…と思うのです。
ケガ一つでこんなことを言うのは流石にちょっと大げさかもしれませんが。
でも今回たまたま無事だったから言えることな気もやっぱりする。
うちはどう頑張ってもいわゆる「富裕層」というところに手が届く気がしない一般家庭なので、
ここから息子くんがやりたいことをやって楽しく生きるために、
私たち夫婦はどんなことができるだろうか…ということはよく考えます。
前に、知人が「将来海外で働きたくなった時のために二重国籍にしてあげたい」
というような話をしていたことがありました。
その人は男性で、そういう理由から妻にはアメリカで出産をしてほしいと。
その時、私は息子くんの産後9ヶ月くらいだったのですが、
自分自身のお産が割と大変だったのもあって、出産は女性が主役だし、
将来を見据えた対応も良いけど、まずは命あってのことでは?と話しました。
奥さんもその場に居て、確かにちょっと怖いかな…と話していたし、
齧った程度の知識でしたが、一応日本の方が色々手厚いらしいよ…と、
完全に妊娠・出産だけに焦点を当て、私は日本での出産が良いと思うなーと話をしたのですが。
今は、そういう「贈り物」もあるのだなぁと思うのです。
たまたまその人があげたいものが結構大きなものだっただけに、
それを実現するに相応の勇気が必要そうなことだなぁとは思うものの。
大きくなった時に活躍できる舞台の幅を広げてあげたいというのは、
それはそれでかなり大事な思いやりだよなぁと思います。
特にコロナ禍で今の日本を見ていると、この国が嫌いになってしまいそうとすら思うし、
正直色々と危機感を感じる状況だなぁと思うのです。
流石に、この国に生きる一人として、このままでは良くないし変えていきたい、
まだ何とか立て直す希望はあるのではないか…と思っていたりもするのですが。
楽観視できる状況ではない気もしていて、何とかなるさーでは良くないなと。
だからと言って、じゃあ見知らぬ土地で子育てを…とは私は流石に思えないけど、
我が家でもできる限りは…と思い、早期英語教育に一応取り組んでいます。
遊びの中から学びができるように…と数や色、あいさつなどは遊びつつ覚えてみたり。
正直芸術方面については手助けできることが私にはあまりないのですが、
これからの義務教育の過程で必要な勉学についてのサポートはできるかなと。
勉強を教えられるということではなく、机に向かう習慣作りだったり、
そもそも「学ぶ」ことを楽しく思えるような環境を作ってあげたり…みたいな。
簡単ではないと思うけど、Twitterにはリアルな体験談もあるし、
関連書籍もたくさんあるので、これから私が知識をつけることもできます。
とにかく子どもたちが楽しく幸せだと思って生きていけるように、
必要なら私自身も勉強や努力をして、備えて支えていけたらなと思うのです。

こういう話題の時によく出る「自己肯定感」の話もまさにそうで、
私は当時の時代背景もあり、割と厳しく躾けられて育ってきたようなところがあり、
まぁ自己肯定感なるものはほぼ皆無だったと思います。
そういう要素にその他の色んな出来事が重なって、メンタルも普通に病んだし、
今から考えると、若かった頃の私は全然私を大事にしていなかったなと思うのです。
と言うか、自分を大事にするということがどういうことかまるでわかってなかった。
私は諦めが悪い性格だったのと運もあって、何とかそういう状況からは脱出して、
今でも戦っているところですが、長い年月をかけて少しずつ前向きになってきました。
でも振り返って何度考えても、あの苦労いったか??って思うんですよね。
流石に私自身としてはせっかく乗り越えてきた過去でもあるので、
過去から色んなことを学び、今に活かしていることもたくさんありますが、
じゃあこの学びがあの経験からしか得られなかったかと言うと間違いなくNOだと思う。
私が苦しかった日々の中で得た気付きで大切なことももちろんありますが、
既に私が知っているのならば、どうにか工夫をすれば誰かに教えることもできるはず。
わざわざ同じ経験をしないと得られないということでは絶対にないと思う。
なので、子どもたちには自身は幸福に生活をしながらも、
色んな生活や人生が人それぞれあることを教えてあげたいなと思っています。
自己肯定感を高く持って、自分のことを好きになれる子にしてあげたい。
口で言う程簡単ではないとはわかっていますが、
どうしても私が子育てをする上で、これに関しては譲れないのでした。
まだ勉強不足な部分も多いので完璧な実践は不可能ですが、
とりあえず私が子どもたちを大好きであることを伝えるのだけは何とか毎日頑張っています。
私の子に産まれて良かったとは思ってもらえなくて全然いいので、
産まれて良かった、生きるの楽しい!とは思ってもらえたらいいなぁと思います。
英語もできないし不器用だしで、国籍は一つだけ、教えてあげられることもほぼないけど、
愛情だけは溢れているので、それならあげられるんじゃないかと思っておきます。
…そんなこと言う奴が不注意でケガさすなやって思えてきた…本当にごめん…。
ハァーッ子育てほんと気が抜けない!難しい!頑張ろう!!